この記事では【推しの子】のゴローが勤めていた病院やさりなとの過去などについて解説します。
推しの子の主人公は第1話で宮崎県の病院に勤めており、またこの病院はその後の作中でも登場していました。
まずはこの病院が現実に存在するのかどうかについて見ていきましょう☆
- 推しの子の病院が実在するかどうか
- 推しの子の病院での出来事
※この記事は【推しの子】のネタバレを含みます
下記の関連記事及び目次の後から記事の本文が始まります。
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推しの子のゴローやさりながいた病院は実在する?モデルは?
まずは推しの子に登場する病院が実際に存在するのかどうかを見ていきましょう。
実はこの地域で産婦人科がある病院自体が極めて少ないために選択肢がかなり絞られます。
また当サイトの読者の方からの情報により、宮崎県の「古賀総合病院」がモデルではないかと思われます(情報を下さりありがとうございます<(_ _)>)。
ちなみにこちらのツイートに貼られている画像の右下の写真から、「古賀総合病院」の全体像が分かります。
遠目の写真ながら、かなり大きな病院であることが分かります。
さらに病院のすぐ近くに大きな森もあり、ゴローの病院と酷似しています。
極めつけはすぐ近くに満願寺跡があり、その辺りにはゴローの実家にも似た雰囲気の建物があるのです。
推しの子に登場するゴローの病院の規模の大きさ、大きな森、ゴローの実家っぽい建物などから、モデルとして辻褄が合いますね。
推しの子のゴローやさりなの病院での出会いや過去を解説!
次に推しの子の作中で描かれる病院での出会いや過去のイベントについて見ていきましょう。
この病院はアクアが転生する前の人物である雨宮吾郎が勤めていたところで、物語の中でも極めて重要な場所になっています。
ゴローのアイ狂はさりなの仕込み(漫画1巻の第1話)
漫画1巻の第1話ではゴローこと雨宮吾郎がこの病院の産婦人科医として勤務している(というかサボっている)シーンが描かれています。
ゴローは当時のアイドルグループ「B小町」のセンターであるアイの大ファンで、よく患者の病院でサボりながらDVDを鑑賞するのが日常でした笑
ゴローは登場して初っ端からサイリウムを持ってアイに熱狂していますが、実はゴローのアイ狂は4年前に亡くなった天童寺さりなの影響で、さりな自身もアイの熱狂的ファンだったのです。
さりながゴローにプロポーズ(漫画1巻の第1話)
ゴローとさりなの過去も漫画1巻の第1話で少し描かれています。
さりなは退形成性星細胞腫を患っており、幼少期からずっと病院暮らしをしていました。
そんなさりなはアイの熱狂的ファンである傍ら、当時研修医だったゴローのことが好きでプロポーズまでしています。
ちなみにこの時のゴローは「さりなが16歳になったら考えてあげる」と言ってはぐらかしていましたが、さりながルビーに転生してからもこの言葉は覚えていました。
さりなの最期はゴローが看取る(漫画8巻の第75話)
漫画8巻の第75話ではさりなの最期が描かれています。
さりなの容態が深刻になってもさりなの両親が来る様子は無く、この時はさりなと一番仲が良かったゴローが看取っていました。
そしてさりなは、幼少期に一度だけ行ったアイのライブのガチャで貰った「アイのキーホルダー」をゴローにあげ、その後に死亡してしまいます。
ちなみにさりなの死後もゴローはこのキーホルダーをずっと大事に持っており、漫画8巻の第77話で白骨死体として発見された時もこのキーホルダーを持っていました。
それを発見したのが、さりなが転生したルビーだったというのも皮肉な展開ですね・・
推しの子のゴローは産婦人科医なのに何故さりなを看ていた?
先述の通りゴローはさりなの最期を看取っていましたが、作中ではゴローは産婦人科医でした。
産婦人科医であるゴローが何故さりなを看ていたのか、またゴローが本当に希望していた進路についても見ていきましょう。
ゴローがさりなと出会ったのは研修医時代(漫画1巻の第1話)
漫画1巻の第1話で、ゴローがさりなを看ていたのは研修医時代だった頃であることが明かされています。
ゴローは同じ病院で研修医をやっており、その後に産婦人科医となったのです。
ただ実はゴローは昔から産婦人科医になりたかったわけではありませんでした。
ゴローは外科医志望だったが産婦人科医に(漫画8巻の第75話)
漫画8巻の第75話でアクアがゴローの過去について語っています。
実はゴローの母親は自宅で一人でゴローを出産するも、その後に出血多量で死亡してしまったのです。
さらにゴローの父親の所在も知れなかったため、ゴローは祖父母の家に預けられましたが、祖父との関係も悪くて色々と気まずい思いをしながら育ってきました。
そして先述の通りゴローは産婦人科医になっていますが、本当は外科医になりたかったのです。
その理由は「好きな小説に出てくる医者が格好良かったから」というありがちなものですが、ゴローが医大に進路を決めた際に祖母が「お母さんのことがあったから産医になるのね」と早合点で口にしてしまい、ゴローは「外科医志望」とは言えずに産婦人科医の道を進みました。
ただその根底には母親を犠牲にして生まれてきたという後ろめたさがあったためで、希望の進路を言い出せないゴローも辛かったでしょうね・・
「推しの子の病院は実在する?ゴローやさりなの過去も解説!」まとめ
今回は【推しの子】のゴローが勤めていた病院やさりなとの過去などについて解説しました。
あの病院は現実には存在せず、あくまで作中で描かれた架空の存在だったようです。
作中ではこの病院を中心に様々なイベントが起きているため、今後も注目ですね☆
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コメント
推しの子のゴロー達がいた病院ですが、宮崎市の古賀総合病院がモデルっぽい。
Google mapで確認しただけだから、確証は無いですが、雰囲気は一致してると思います。どうでしょうか?
コメント&情報ありがとうございます<(_ _)>
かなりの大病院のようで、作中の病院の規模とも合っていますね☆
私も間違い無いかと思います。
Google mapだと近くから見ると形違うかなと思いましたが、遠くから見ると、類似してるし、後ろが山なのも作品と一致してます。
また、近くに宮崎城跡と満願寺跡があり、こちらもゴローが亡くなった場所の作画と写真も雰囲気が似てます。
追加情報
満願寺跡の近くに雨宮吾郎の家の造りに似た、建物があります。
周辺情報までありがとうございます<(_ _)>
赤坂先生もこの辺りを訪れてモデルにしたのかもしれませんね・・